過程と結論
究極的には、物事って言うのは過程が大事なわけだ。
結論は過程によってしか導き出されない。
それなのに、物質至上主義の現在は、過程はいいから
結論を結論をとせっつく。そんなに急いでも大して時間は変わらない。
時速200キロの新幹線に乗るのと、時速800キロの飛行機に乗るとする。
しかし、飛行場に行くアクセスが悪かったら新幹線と変わらない地域も
ありえる。
時間が変わらないならどっちを使ってもいいわけだ。
(価格が飛行機のほうが安いという罠が待ってたりしてな。)
物質に対して何らかの反応をさせるとしよう。
反応生成物からどういう反応が起こったか推測することが出来る。
しかし、反応中のものを制御するのは非常に難しい。
コーヒーに角砂糖を入れるのを考えてみる。
その角砂糖が全部溶ける前に取り出すのは難しい。
さらに角砂糖が半分溶けるまで、なんて処理は不可能だ。
ではどうするかっていうと、最初から角砂糖を半分だけ入れる。
あたりまえのようだが、ここは結構重要。
反応系に入れる前に処理を行うしかないのだ。
ここらへんに現在科学の限界があったりする。
エネルギーの流れを制御するのはあくまで下準備があってからこそ。
(角砂糖を半分入れるみたいに)
一度起こってしまったエネルギーの流れを制御するのは非常に困難。
エネルギーの流れを制御するなんて方法があったら、まさに
魔法ではないかと私は思う。
古来人間はその方法を探してきたが、現在見つかったかというと
みつかってないわけだわな。
原則的にエネルギーは物質を伝播させるしかないわけで、その
物質に下準備をしておく必要がある。たとえば電線を用意したり。
つまりどうも俺らは魔法使いにはなれなさそうだと。
そういうわけで、現在科学では物質の反応の結果が重要になっている。
しかし、物質の反応結果だけで全てが分かるんだろうか?
本当の魔法ってのがどういうものか知らないが、面白い話がある。
化学(chemistry)の語源は錬金術(alchemy)で、これはアラビア
半島から伝わったらしい。
でその錬金術は、そもそも古代エジプトで豊かな土地を意味する。
豊かな土地から金を取る方法。
魔術めいた錬金術は、その過程においてそうなったにすぎない。
正しいありように戻ったということなのだ。
エネルギーの流れを詳しく見る学問があったら?
魔法って言うのは、実は科学のなれの果てだったのかも知れんな。
錬金術のように変化したかも知れん。
だとすると、魔法科学というか魔法を正しいありようで科学すると、
錬金術とおなじように、科学になるのではないかと。
過程を重視する科学、そういう別パターンの科学について考える
時期がきたのかもしれない。